拝島

拝島

昨日の夕方の話、私は十二歳の頃の私と出会った。でも話で聞くよりかは全然なつかしいとか悲しいとかなくて、むしろ拍子抜けして、というよりかはまるで気が付かなくて、今も気付いてない。気付いていたら何か思うこともあったはずなのだ。案外ちゃんとしてたんだなとか。まあ十二歳なんて動物に毛が生えた程度なんだし、ちゃんとしてたも何もないんだけどね。大学の友だちの結婚式の二次会の帰り、新宿駅東口をすこし歩いて西武新宿線、所沢方面行きに乗り合わせた私は高田馬場で降りなかった。当たり前だ、だって十二歳の頃は高田馬場に住むだなんて思ったこともない。でもその私が考えたこともない証拠なんてあるのだろうか。確信はない。電車を降りた私は話しかければよかったかもしれない。でも話すことなんて何もないし予言みたいなものを話したところで信じてもらえるはずがない、私が十二歳なら全部ちがうことをしてみせる。そういえば高田馬場から新宿を往復する最短距離以上にこの電車を考えたことがない。なぜならそのときようやく考えることができたからだ。電車は距離を時間で考えさせてくれる乗り物だ。でもやっぱり拝島あたりで考えは止まっているかもしれない。それなら拝島以降を考える私がそれを担当するのだろう、気付いた私がこの時間を強く担当しているように。それに、新宿は人がたくさんいる。さっきみたいに新宿のあちこちで目撃証言がたくさん出てきて、拜島のことを考える私も、あるいは知らないうちに死んでしまった私もいるはずだ。きっとこの文章を考えて、文字に起こして、住所を書いて切手を貼る私もいるだろう。なんかやだな、そういうの。この私が死ぬまでちゃんと取っておけよと思う。まずはそのための言葉を考えることから初めて見る町並みを、初めて見る町並みだと思えるだろうか?